ニシンは繁栄を促し巨万の富を生む並外れた魚だった!

ニシンは繁栄を促し巨万の富を生む並外れた魚だった!

ニシンは身近な魚介類の一つですが、かつては、繁栄を促し巨万の富を生む特別な存在でした。その歴史とどのように食されていたのかをご紹介します。

はじめに

ニシンは、北方の冷水域に生息する回遊魚で、日本では北海道沿岸に産卵のために現れる海水魚です。またの名を「春告魚はるつげうお」と呼びます。
産卵期には、放精により海水が白濁する「群来くき」という現象を発生させます。ニシンはそのような現象を起こすほど大きい群れで行動するため、その群れを発見できれば豊漁でした。そうして水揚げされた大量のニシンは、食用や肥料として広く流通することで、漁業関係者たちに巨万の富を与えました。
この記事は、かつて金のなる木であったニシンに纏わる歴史と、その料理や食品についての話です。

繁栄と巨万の富を生んだ歴史

ニシンは、日本のみならずヨーロッパにおいても莫大な財産を齎しました。このセクションでは、それぞれの地域で、どのような影響力を持っていたかを歴史と共に振り返ります。

ヨーロッパ(北欧)

背景

11世紀頃から、ヨーロッパの多くの国でキリスト教が国教となります。すると、2月から3月にかけて始まる四旬節で、厳格な断食が行われるようになりました。肉、魚、卵、乳製品の摂取が禁じられ、1日1度しか十分な食事を摂れません。しかし、この慣習は、時が経つにつれて原義が忘れ去られ、渋々行う義務的な節制となりました。
こういった状況のため、魚を食べることが許されるようになり、時期的に大漁となるニシンやタラが、彼らの需要を満たす役目を負わされたのです。

ハンザ同盟の隆盛

油が多いニシンは、酸化しやすく足が早い食べ物です。そのため、ニシンの内臓を取り除いて、樽に詰めて塩漬けにすることで、長期保存する方法が考案されました。
そして、その加工処理とヨーロッパ各地への食品供給は、「ハンザ同盟」が担いました。リューベックとハンブルグの商業都市を中心とした、複数の都市間で結ばれた同盟です。バルト海に面したリューベックは、ニシンと加工用の塩が入手しやすい好立地にあったため、付近一帯の交易を掌握します。
ニシンにより莫大な富を得たハンザ同盟は、穀物・毛皮・木材等の生活必需品の交易も手がけ、イングランドやノルウェー等の周辺国家にも影響を及ぼす存在となりました。

オランダの覇権獲得

バルト海におけるニシンの漁獲高は、15世紀になると減少し始め、16世紀には完全に無くなりました。ニシンの回遊ルートが、バルト海から北海に変わったためです。
北海は、オランダの目と鼻の先です。オランダはこの状況に歓喜し、ニシン漁を始めます。しかし、彼らはがつがつしませんでした。政府主導で品質管理を徹底して市場に流通させます。獲ったばかりの新鮮な状態のニシンを、陸地まで運ばずに船上で加工することで、高品質にしました。
オランダのニシン産業が、こういった品質管理面で諸外国を圧倒して覇権を得た結果、交易の中心が北海に変わり、ハンザ同盟が衰退する一因になりました。

英蘭戦争の勃発へ

17世紀になると、オランダはニシン漁の範囲を英国近海まで広げます。これを脅威に感じたイングランドは、外国籍船から輸入することを禁じました。そのため、17世紀後半から18世紀にかけて英蘭戦争が勃発。その結果、オランダの国力は疲弊し、北米植民地も失って、海上貿易における優位性を失います。その間に、ニシンの群れは北大西洋や北米大陸沖に移動し、貿易の中心も北海から大西洋に移り変わります。こうしてイングランドは、ニシンの権益を得られる立場になりました。

日本(北海道)

背景

北海道では、古くからニシンが豊富に獲れることが知られていました。江戸時代、その土地を治めていた松前藩は、交易権とその漁業を行うための土地を家臣に与えました。それからこの知行地の運営は、商人に委託され、交易はニシンが主力商品となります。

繁栄の象徴「鰊御殿」

明治時代後期には、北海道沿岸でのニシン漁獲量が急激に増え、およそ100万トンの国内最高記録を叩き出します。この頃の一年あたりの利益は、現在の数字に照らし合わせると、1億円以上あったようです。こうして、漁業経営者である網元あみもとは莫大な財を成し、「鰊御殿」と呼ばれる大規模な居宅兼漁業施設が立ち並ぶほどになりました。

ニシンを用いた料理や食品

このセクションでは、日本を始め各国の多種多様なニシンを用いた料理や食品について紹介します。

身欠き

身欠きニシンは、内臓や頭を取り除いて乾燥させたニシンの干物です。他国には見られない日本由来の加工食品です。

にしんそば

山々に囲まれる立地で、新鮮な魚介類を食べるのが難しかった京都において、北海道から輸送された身欠きニシンは、そこに住まう人々がタンパク質を摂取するための貴重な保存食でした。その甘露煮とそばを組み合わせた料理が、にしんそばです。にしんそばは、ニシンの産地だった北海道でも昔から食べられていて、京都と共に郷土料理です。

にしんそば

鰊漬け

鰊漬けは、身欠きニシンと野菜を、米麹を利用して発酵させた漬物です。北海道や東北地方では、厳冬期の保存食として用いられました。

鰊漬け

発酵食品

ニシンを塩漬けや酢漬けなどで発酵させたものを用いる料理は、日本とヨーロッパの両方で見られます。

切り込み

切り込みは、包丁で細切りにした生のニシンを、塩と米麹で漬け込んで熟成させた、北海道や東北地方の郷土料理です。

切り込み

ロールモップス

ロールモップスは、きゅうりのピクルスや玉ねぎの薄切りを、酢漬けのニシンの切り身で円筒状に巻いて、木製のカクテル・ピンで串刺しにした、ヨーロッパで代表的な食べ物の一つです。

ロールモップス

ハーリング

ハーリングは、頭と内臓を取り除いたニシンを軽く塩漬けして発酵させ、玉ねぎのみじん切りをかけた、オランダ発祥の料理です。

ハーリング

シュールストレミング

シュールストレミングは、生のニシンを薄い塩水で漬けて発酵させた、世界一臭い食べ物で有名なスウェーデンの缶詰です。中世当時のスウェーデンでは、ニシンが豊漁の一方で、加工用の塩が貴重品だったため、樽に入れた薄い塩水に漬けて保存しました。この方法では、腐敗は防げましたが、発酵は止められないため、耐え難い臭気を発する保存食が誕生するに至りました。

シュールストレミング

数の子

数の子は、ニシンの魚卵及び卵巣を、そのまま塩漬けまたは乾燥させた食べ物です。日本以外の国では一般的ではない加工食品です。

御節料理

御節料理は、節会や節句に作られる、日本の料理です。地方によって構成は異なりますが、関東や関西では祝い肴3種の中に数の子が含まれます。

御節料理

松前漬け

松前漬けは、数の子、スルメ、昆布を醤油で漬け込んだ保存食で、松前藩を発祥とする郷土料理です。

松前漬け

おわりに

ニシンについて知見を深めると、中世ヨーロッパが魚食文化であったことや、ニシン産業の権益を巡って争っていた背景も分かり、世界史をより面白く感じられるのではないでしょうか。こういった、関連性がないように見える要素が、実は深く関わっていた事実を発見できることは、とても興味深いですね。

参考文献

ニシンは繁栄を促し巨万の富を生む並外れた魚だった!

https://blog.chaotic-notes.com/articles/introduce-enriched-history-brought-by-herring/

作者

Hiroki Sugawara

投稿日

2025-04-07

更新日

2025-04-07

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